博士課程で病んでしまったけど、何とか頑張りたい話。

やっぱりこういうのは、ホットなうちに記録に留めておくのが大事だと思い、新しくブログを開設。
こうやってたくさんの保留になっているブログが…笑

今後どんな記事を書く気なのか、全くもって考えてない。
ただ、殊にこの話題に関しては、自分の記録のため、そして優秀な後輩が少しでも円滑な研究生活を送るためのエッセンスになってくれればと、恥を忍んでキーボードを叩きたい。

長くなってしまったので、2つに分けてアップします。

これまでの研究生活(自己紹介的に)

Masterまでと僕の研究について 

中学生のそれとなく高校という進路を決める時期に、「将来何をしたいんだ?」と両親に聞かれ、「学校の先生になってサッカー部の顧問になりたい」と答えた。

それ以降、学校の先生になるというその時考えた精一杯の夢に向かって、高校受験大学受験の失敗、浪人を経ながら、何とかかんとか、第一志望のある地方国立大学の教育学部*1に進学。
学部3年で研究室に配属*2されていろいろあるまでは「先生になる」と思っていたけれど、教育実習に行って「あ、これは違う。僕にこの仕事は向いていない」と。
元々、教員になるにしても大学院に進学することは決めていたので、そのまま学部を卒業後、何も考えずに同じ研究室で院進。

ここらあたりで研究テーマについて少し。

身バレしても良いような気もするけど、妙な検索に引っかかって同定されて、余計な心配をかけるのは本意ではない。
なので詳細については伏せますが、「地球惑星科学」の何か、が専門です。笑
当時は観測っぽい研究をしていて、今思うととにかくがむしゃらだった。
論文を読み、パソコンをカタカタし、たくさん画を描き、研究会や学会で発表して…もしかすると周りの同期には、「教育学部のくせに、何張り切って研究しちゃってんの?」と思われていたかもしれない。笑

それでも、ボス、学会や研究会で出会った人、観測で見たあの青空…
「こんな面白い人達みたいになりたい」「また観測に行きたい」という意味で、研究者という職業に憧れを抱くようになった。

他大にD進

ボスに

「教育学doctor*3がこの世界でどれほど役に立つのか俺にはわからない」

「周りに研究者になりたいやつがたくさんいるところに移ったほうがいい」

と、口酸っぱく有り難くアドバイスをもらっていたこともあり、理学doctor(じゃなくても工学とか環境学とか…)への道に。
自分の大学に同じ研究テーマを引き継げる研究室は無かったので、他大への編入が既定路線になった。

当時のプロジェクトのメンバーの大学院・研究室に行く…と思いきや

「もしかしたら他のことがやりたくなるかもしれない。」

「住んだこと無いところに行ってみたい気持ちもあるよなあ」

「僕が面白いと思った人は○○大出身なんだよな…」

とかいろいろ考えた結果*4、旧帝の○○大学大学院理学研究科博士課程に編入学する運びに。

編入した後

自慢じゃないけど、僕は人を見る目だけはある。
僕の今ボスも、研究室も、そして大学も素晴らしい。
これ以上の選択はもしかしたら無かったかもしれないとすら、病んでしまった今でも思っている。
前の大学みたいに自費で出張するようなことはなくなり*5笑、周りに仲間がたくさんでき、素晴らしい先輩後輩に恵まれた。

それでもなんとなく、憂鬱になる時期が周期的に現れるようになり、上手く論文が書けず、D4、D5…半期の休学を経て、復学して、D6の今に至る。

病んだ、何度も

別に何を言われたわけでも無い。
いわゆるアカハラ*6は何もない。
それでも病んでしまった。

もちろん、論文が書けていないこと、現在と将来の経済面での不安が拭いきれないこと、周りや後輩はそうそうに学位を取って、早い人ではもうパーマネントで助教
気にしているつもりはなかったけど、少なからず焦りはあった、あると思う。

とにかく、研究の進捗をボスに報告するのがとてつもなく苦痛になってしまった。
メールボックスを開くのも苦痛だ。
繰り返しになるけど、別に何を言われたわけでもない。
それでも、「怒られているメールが来ているかもしれない」「もっと何か良い結果が出せたんじゃないか」…ネガティブなループにハマってしまう。

ボスから親に連絡も行った。親も、下宿先に飛んできた。
いわゆる三者面談もしてもらった。

それでも…上手くいかない。恥ずかしい話だ。
数か月おきに、変位が負になる。割と大きな振幅で。

やっと重い腰を上げ、割りかし元気なタイミングで精神科心療内科に足を運んだ。
診断結果は「」だった。
単極の鬱なのか、躁鬱なのか…は経過を見なければということで、薬を飲みながら検査と診察を続けることに。

鬱と言われて思ったこと

「鬱だと思います」と言われたのは、1時間ほどの初診と採血の後だった。
覚悟はしていたというか、まぁそうかと、宣告そのものに対してはそんなに驚きも無かった。
何か、もう自分に自信がないので、動揺してお医者さんと話せなくなったらツラいなと思い、彼女*7に付いてきてもらったのがアホらしいほど冷静だった。

それでも、やっぱり、明確に言われたことで

「自分が鬱になるなんて」

というありきたりなことは思った。

www.huffingtonpost.jp

 別に「自分が大丈夫」と思っていたつもりもないし、

gigazine.net

気をつけようとは思っていたし、

news.yahoo.co.jp

www.nishinippon.co.jp

分野こそ違えど、こんなニュースを見ると他人事ではないと思っていた。

もちろん、なりたくて鬱になったわけではないのだが、まさか自分の身に。

その一方で、スッキリしたところもある。
治していこう、と。
完全に治ることがあるのか、分からないけど。
少なくとも上手く付き合って、楽しく生きていきたい
自分に研究が向いているのかは分からないけど、できれば学位を取るまで続けたい。

Conclusion

というわけで、長くなったけど。
とりあえず第一弾。背景の描写を。
次回、「こうしたら良かったかな?」「こう出来たのは良かった」をまとめたいと思います。

ちなみにブログのタイトル

Size doesn't matter, performance does.

は、ディズニー映画ベイマックス*8の、好きなセリフです。*9

www.youtube.com

良かったら日本語版ではなく、in Englishでぜひ。この映画は。

とりあえず映画の宣伝をしたところで。今日はここまで。

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腕がなんだか変。笑

*1:僕が入学卒業修了した当時は教育学部という名称ではなく、いわゆるゼロ免課程もある学部だった。

*2:研究室選択の際にも色んな思い出があるので、近々別アップしようかな。

*3:1991年以降に取得した場合は「博士(●●)」と言うのが正式だけど、細かいことは気にしない。今でも「●●学doctor」って言ったりするでしょ?笑

*4:まぁここでも実はいろいろあったのだけど、長くなるので別記事にします。笑

*5:当時前ボスはまだ若く…今も若いが…研究費を獲得出来ていなかったので、それなりに無理もしていたと思うし、自分も望んで行っていたので、いわゆるブラック研究室というわけではない。

*6:

www.naah.jp

*7:同棲中。婚約者。

*8:

www.disney.co.jp

*9:原題はBig Hero 6。